高校は、出身の静岡県内で芸術科のある学校へ進学しました。
公立なのに、レッスン室は何室も完備、個人レッスンは勿論、音楽史、楽典、新曲視唱に聴音など、音楽に特化した授業が多く恵まれた環境でした。
当時は、上手になる方法もわからず、とにかく長い時間練習することばかり考えていました。
色々な方に教わり、アンブシュアから楽器の持ち方、マウスピースを当てる位置も変え、マウスピースのサイズを変えて試行錯誤しました。今思うと、どう練習すればいいのかわからなかったのだと思います。
自分の最適な演奏方法がついにわからなくなりました。音が一切出なくなったのです。
1音も出せなくなってしまったのですから、試験曲の練習どころではありません。
毎日、泣きながら練習していましたし、とても辛い時期を過ごしました。
その後、師匠に出会い「そのままで良い、世界の奏者は癖のある吹き方の人ばかりだし、いい音で音楽が出来ているかが重要だ」と励まして頂き、徐々に音が出せるようになりました。
あの経験は生涯忘れられません。